ナガノ日記

備忘録

身を焦がすほど待ったことのない幸せな人生


2020/06/15
『「待つ」ということ』鷲田清一角川選書


いろんなことを待っている。人生の大半は待つことではないだろうか。何かの行為があり、その結果がでるまで待つ。勉強、仕事、恋愛、子育て。

この本では待つことから発生する様々な思いを哲学的に考察して、待つことの意味を捉えなおしていく。

 

意のままにならないもの、偶然に翻弄されるもの、じぶんを超えたもの、じぶんの力ではどうにもならないもの、それに対してはただ受け身でいるしかないもの、いたずらに動くことなくただそこにじっとしているしかないもの。そういうものにふれてしまい、それでも「期待」や「希い」や「祈り」を込めなおし、幾度となくくりかえされるそれへの断念のなかでもそれを手放すことなくいること、おそらくはここに、〈待つ〉ということがなりたつ。P17


章のタイトルを抜粋すると「焦れ」「予期」「自壊」「冷却」「是正」「省略」「遮断」「膠着」「放棄」「空転」など。待つことの多様な状態がそこにある。

哲学的な考察は素人の私には難しい部分もあり、半分も理解したのか怪しいけれど、興味深く感じる指摘もたくさんあった。その中でも多く触れられている「忘却」の部分。


希望を持つ限り、その希望が叶うことを人は待つ。希望が叶ったとき、もしくは希望を完全に失ったとき、人は待つことを止める。だが、忘却によってもまた待つことから解放される。

忘れる、あるいは忘れたことにするというのは、じぶんが思い悩んでいる事態の脈絡のいくつかを外すということである。〈わたし〉が絡めとられている脈絡のいくつかを消す、つまりはじぶんを押し殺すということである。「あんたはもういんものと思てる」と言うのも、「あのひとは死んでしもたと思うことにする」と思い定めるのも、「あんた」への期待をきっぱり棄て去るということである。本人にとってはそれはもう最後のあきらめかもしれないけれども、しかし、こうしたいくつかのコンテクストの削除によって、〈わたし〉がはまり込んできた事態の布陣そのものが、知らず知らず、微妙に変わりゆきもする。つまり、別な状況が生まれることがかろうじてありうる。断念が断念に終わらず、これまで視野になかったことが生起しうる場を、忘却がたぐりよせるということがあるのだ。
P181


待つことは悪いことではなく、本書は待つことの可能性、待つことによる救いについて書かれた本だ。読むほどに、自分の人生を振り返り、僕は待つことに耐えられない人間だったのだと思い知らされる。忘れること、なかったことにして、希望を捨て、待つことをやめたことがいくつあっただろう。

 

それは、捨ててもこうして生きていられる程度の希望だったとも言える。

 

いつか僕もどうしても捨てられない、忘れることのできない希望にすがり、何かを待ち続ける日が来るのかも知れない。その時、この本は大きな救いになるのだろう。