ナガノ日記

備忘録

僕は僕であるために、僕のままでいたい。


2020/06/18
 
『どもる体』伊藤亜沙/医学書

僕も子供の頃から、時々どもることがあった。上がり症で人見知りのため人前で話す時に多かったような記憶がある。大人になっても大勢の人前で話すときに稀にあり、友人の結婚式でどもってしまった。順番にマイクが回ってきてテーブルで話すときのことで、僕にしては珍しく晴れの場だからと頑張って冗談を言って会場の笑いを取った。その時は、無事に笑いに繋がって良い雰囲気になったので満足していたのだが、後日、同席していた友人が「あれ面白かったよね」と私のどもっていた言葉の再現してくれた。まったく気づいていなかったのだが、あの時、僕は少しどもっていて、そのため笑いがより起こっていたのだった。その友人による私のものまねを聞いてショックだった。確かに私はその通りに言い、それをまったく自覚していなかった。

 

この本ではどもることについた書かれている。どもる人に向けた内容ではなく、どもるという現象はなぜ起き、それはどもる人にとってどのような影響を与えているかを考察する。

 

発音がスムーズにできなず、ど、ど、どもるという現象(「連発」と呼ぶ)がなぜ起きるのかを発声の観点から分析。連発の状況を避けたいと願うことで、今度は言葉がでなくなってしまう「難発」という現象。言いにくい言葉を避けて同じような意味の別の言葉を使う「言い変え」。

 

連発以外の状態は心の状況によって生み出される。意識的にしろ無意識にしろ連発を避けたいという思いが難発となり、言い変えになっていく。どもる体について分析するなかで著者が注目するのは「コントロールできない体」について。そして、何人ものインタビューによって見えてくるのは、自分らしいと思う姿が人それぞれ違うということ。うまくどもる体をコントロールして日常生活を平穏に送るひともいれば、どもる体こそ自分本来の姿だと思う人もいる。

 

僕もどもることがあると思っていたが、こうして読むと緊張しているだけで、こうした状態とは無関係にようだった。だが、緊張して言葉がでないという状況はよくあり、「コントロールできない体」の感触はすこしわかる。45歳になって、それなりの場数を踏んでいるのに、複数の人前で話そうとすると息が詰まり、耳がキーンとすることがある。

そんな自分が学生時代はとても嫌いだった。もっと堂々と話せるようにとは今でも思う。けれども、トラウマレベルで声が出なかった経験をいくつか持ったことで、緊張しながらも言葉を発することができれば、そんな自分を認めることができるようになった。

 

「すごい緊張してましたね」と声をかけられることが多い。そんな時は「あれでも、僕の中ではうまく喋れたほうですよ」と笑えるようになった。魔法の薬を飲んで、人前で流暢に喋ることができたら、自分の体がコントロールできていない、本書の言葉でいうと「乗っ取られた」ように感じるのかも知れない。僕は僕であるために、僕のままでいたい。