ナガノ日記

備忘録

自由という束縛


2020/06/10
『思想家たちの100の名言』ロランス・ドヴィレール/白水社

「人間は自由の刑に処せされている」サルトル

自由であるとは、まさに不安でたまらないことなのだ。それゆえにわれわれは自己欺瞞から、自分に定められた役割(喫茶店のボーイ、哲学者、ブルジョワなど)のなかに逃げ、そこに心頼みや安堵を見いだすのである。
何にも属さない、自分の意志で何でもできる状況が自由だとすれば、自由意志によって何者かになってしまった自分はもう自由ではない。

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子どものころマンガの北斗の拳に出てくる雲のジュウザが好きだった。「俺は自由だ、雲のように生きる」みたいな事を言って、気ままに生きていたジュウザは自由を体現している理想の人に思えた。

自由は人とは。何にも属せず、何かになりたくも、何かを成したいとも思わない。定職につくのはもちろん、友人、恋人もなく、共同体や家族に属するなんてとんでもない。

そう思えば、スナフキンは自由に見えて自由ではない。小説版のほうが顕著だが、自由に憧れて自由に振る舞おうとする旅人の姿がそこにある。スナフキンは自由を実践するための決まりごとを抱えて行動している。自由とは何か普段から考えているので、悟ったような言動が多い。気ままというよりは求道者であり、ストイックな印象はそのためだろう。自由とストイックという概念はかけ離れている。

子どもの頃に読んだのでうろ覚えだが、雲のジュウザも真に自由ではなかった。愛する人がいて、その人のために非業の死を遂げたかと思う。愛するものがあると人は自由ではいられない。愛するものに属してしまう。