ナガノ日記

備忘録

真実は思考停止のなかにある


2020/01/26
 
私はだからノンフィクション作家というよりはエッセイストと名乗りたいと感じている。いつでもひとりの人間の作り上げた、その人の感情の物語を知りたいと思っている。その人にとって、その出来事はどんな意味があったのか、投げかけられた言葉はどのように響いたのか、時には記憶違いなどもあるはずだが、それを含めて、その人が経験を通して感じたことに興味があった。言うなれば、その人の真実がわかればそれでよかった。人の数だけ真実はある。そうおおらかに捉えられる感覚の中で文章を書けるようになって本当によかったと思っている。『彗星の孤独』寺尾沙穂 P29-P30

僕は本のタイトルに「真実の」「本当の」とあるものは信用しないことにしている。自分だけが知っている真実を、あなたにも教えてあげようというスタンスはうさんくさいだけだ。

誰かとの会話のなかでも「真実の」「本当の」という言葉を使って説得しようとする人は信用しない。何か自分の経験か知見かによって悟りを開き「真実」や「本当」に辿りついたのだろうけど、それは私の「真実」や「本当」ではない。

若い頃にこうした認識に辿り着き、「真実」や「本当」の言葉を避ける生きてきた。誰かの掲げる「真実」や「本当」を信じなかったおかげで、自分を見失わずに何とか今日まで生きてこれたと思う。

「真実」や「本当」に辿り着いた人は思考停止していることが多い。言い換えれば時間が止まっている。自分が辿り着いた答えの場所に留まっている。この言葉を読んでそんな事を思った。

自分の中にある「真実」や「本当」はあるのだろう。例えば、深い悲しみに囚われて、その場から動けなくなってしまった時。その人が今感じている感情は「真実」であり「本当」のことだ。そこから、何かが加わることもなく、差し引かれることもない、止まった時間のなかで宙づりになったもの。揺るぎなくそこにありつづけるもの。そんな場所にしか「真実」や「本当」は存在しない。