ナガノ日記

備忘録

シダ植物の繁殖

休みの日でも何だかんだと疲れる。こちらが定休日などおかまいなくメールは送られてくるので返信する。休み明けはただでさえ仕事が多く、少しでも作業量を減らしておいたほうが楽というもの。

 

早朝から雷鳴が大きく目が覚めてしまった。それからうとうとするものの、雨音や雷が気になり眠りが浅く、気がかりなことも抱えているためか嫌な夢ばかりみてしまい疲れてしまう。

 

用事の合間をみて庭の雑草と格闘。日陰にシダ植物がはびこっているから引き抜く。日陰から伸びてきて日当たりのあるとこまで育っているものもある。抜いたものを庭の片隅に投げる。葉の裏に胞子があって空気中に舞う。

へっぽこ調整役には荷が重い

今日は各所で人間関係のややこしい事案が発生して調整役にまわる。放って置いたら自分に火の粉が降りかかる可能性があるし、問題がこじれていくので、今私に出来ることをする。

 

と言ってと特に難しいことをしたわけではなく「今こういう問題がありますよね」と関係者にオープンに示しただけだが。それぞれ揉めるならいいけれど、私が板挟みにならないように、不満が押し込まれないよう表にだして、フラットに問題点を共有。

 

なぜわたしがこんなことをしなくてはいけないのか。私もあれこれ先送りしているが乗り切れるのか。8月末の大型イベントが終わるのが一区切り。そこまでなんとか持ちこたえたい。

 

NP

スティルライフ

 

真実は思考停止のなかにある


2020/01/26
 
私はだからノンフィクション作家というよりはエッセイストと名乗りたいと感じている。いつでもひとりの人間の作り上げた、その人の感情の物語を知りたいと思っている。その人にとって、その出来事はどんな意味があったのか、投げかけられた言葉はどのように響いたのか、時には記憶違いなどもあるはずだが、それを含めて、その人が経験を通して感じたことに興味があった。言うなれば、その人の真実がわかればそれでよかった。人の数だけ真実はある。そうおおらかに捉えられる感覚の中で文章を書けるようになって本当によかったと思っている。『彗星の孤独』寺尾沙穂 P29-P30

僕は本のタイトルに「真実の」「本当の」とあるものは信用しないことにしている。自分だけが知っている真実を、あなたにも教えてあげようというスタンスはうさんくさいだけだ。

誰かとの会話のなかでも「真実の」「本当の」という言葉を使って説得しようとする人は信用しない。何か自分の経験か知見かによって悟りを開き「真実」や「本当」に辿りついたのだろうけど、それは私の「真実」や「本当」ではない。

若い頃にこうした認識に辿り着き、「真実」や「本当」の言葉を避ける生きてきた。誰かの掲げる「真実」や「本当」を信じなかったおかげで、自分を見失わずに何とか今日まで生きてこれたと思う。

「真実」や「本当」に辿り着いた人は思考停止していることが多い。言い換えれば時間が止まっている。自分が辿り着いた答えの場所に留まっている。この言葉を読んでそんな事を思った。

自分の中にある「真実」や「本当」はあるのだろう。例えば、深い悲しみに囚われて、その場から動けなくなってしまった時。その人が今感じている感情は「真実」であり「本当」のことだ。そこから、何かが加わることもなく、差し引かれることもない、止まった時間のなかで宙づりになったもの。揺るぎなくそこにありつづけるもの。そんな場所にしか「真実」や「本当」は存在しない。

あの時なんて言えば良かったのだろう


2020/01/27
 
信念を持って突き進むことと、立ち止まって考えること。この時必要だったのはどちらだろう。必要だったも、不必要だった、もないのかもしれない。ひとつ言えることは、大切なものはいつも見えにくくなる、ということだろう。『彗星の孤独』寺尾沙穂 P55 

 

愛するもの、愛するひと、私や誰かの幸せを選び取ることは、そう簡単ではない。傷ついた誰かをそっとしておくべきか、言葉をかけるべきか。自分は気力を振り絞って立ち上がるべきか、休息を必要としているのか。

恋人が自死してしまった友人にうまく声をかけることができなかったことを今でも悔やむ。どのようにふるまえば彼の傷が癒されたのか今でもわからない。どうしようもなければ後悔もしないのだろう。だけど、僕はあの時、何か選ぶことができて、でもその選択の結果うまくいかなかった。

彼は今どこで何をしているのだろう。もう10年以上会っていない。連絡先もわからない。今でも彼の大切な気持ちを受け止めることのできなかった、あの日の電話を思いだす。

移住を目的にする人とは距離をとる


2020/03/04
 
『フルサトをつくる』(伊藤洋志・ pha)を読んだ。

僕も世間からは移住者と言われがちな立場で、小さなイベントでスピーカーをしたこともある。個人的には交通の便と店を開く立地が現時点で最適だと思い、引っ越してきただけなので「移住」がしたかったわけではない。

何年かが過ぎ、順風満帆とはいかないまでも、この地で暮らす人たちとそれなりに繋がりも生まれ、かろうじて生活をしている。

そんなわけで、移住本としては定番となっている本書は以前から気になっていたが、私は移住のつもりがなかったので読まずにいた。

が、これは大きな勘違いであった。

本書では、現代社会におけるそれぞれのフルサトを、自分に合わせてつくっていくことについて考えていきたい。これは、ちょっと気を張らないとやっていけない資本主義経済世界に大なり小なり関わって生きている現代人が、完全自給自足のコミューンまで目指さなくても、まあぼちぼちですな、というぐらいで生きていくための基盤になると考えている。

大事なのはそれぞれが自由意志のもとで暮らして、お互いに協力できることがあれば適宜していけばよい、という感覚である。だからといってコミューンみたいに移住者だけで地域づくり組織とかつくっても意味がない。それは都市の企業を移植しただけである。単一の価値観でまとまった組織には寿命がある。そしてその寿命がどんどん短くなっているのが2014年の現在なのである。人間の寿命のほうが長いのでそういう組織はあまり当てにできない。


結果的に移住した、ぐらいがちょうどいい。いきなり移住もよいが、本書のような中間的段階があってもよいと思う。今は0か1かという思考が多すぎる。これは極端だし思考放棄だ。
今の僕ははまさに「結果的に移住した」というような状態になっている。伊藤氏とpha氏のバランス感覚は素晴らしく深く頷きならがら、今までやってきたことの答え合わせのような気持ちで読んだ。

もちろん二人はわきまえているのだろうけど、地元に人たちへの敬意というか、この土地を守ってきてくれた人がいて、その自然や環境を享受させてもらっているという、謙虚な気持ちを忘れずにいたい。

過去の思いでが私を支える


2020/03/10
 
そもそも僕たちは、どんな苦痛だろうと、どんな不幸だろうと、それらに価値を見いだすことができる。なぜかと言うと、それらが「一回かぎりの唯一のもの」だと考えられるからだ。すなわち、「たった一度しかない、かけがえのない人生の中で起こった不幸」という捉え方をすることによって、そこに「価値」を見いだせるというわけである。
『14歳からの哲学入門』飲茶

 

これはニーチェが指摘した人間の思考パターン。ニーチェはここから、哲学的思索により、新たな思考パターンの超人的な人間像を生み出していく。だけど、超人になれるはずもない凡人の僕はきっとこのような価値観のなかで人生を送るのだろう。

過去に苦しいことがあっても、今この瞬間に喜びを感じるならば、過去の苦しみは今の喜びのためにあると思える。今がどれほど苦しくても、未来に希望があるならば、今の苦しみも価値があると思える。

とても、人間的な生き方だ。このような思考をすることで、ほとんどの人間は苦しみを乗り越え、希望にすがって生きていた。こうして生きる人を僕は肯定したいし、きっと、僕はこれからも今後もこうした考えのなかで生きていくだろう。

 


ただ、ひとつ思いだす言葉がある。僕の好きな作家で晩年はアルコール中毒で苦しんで亡くなった方が「過去の幸せな記憶があるから、今の私は生きていけると」(要約)と書いていた。

過去の幸せな記憶が、今の自分の支えになる。未来に希望がなくとも、今生きることの支えになる過去の思いで。

20代の頃、この文章を読んだときはピンとこなかった。だけど、40代を過ぎ、未来に起きる出来事よりも、過去にあった出来事のほうが多くなってきた今では、そんなこともあるのかも知れないと思えるようになってきた

何を見てもあの頃を思いだす


2020/06/07
『盆栽/木々の私生活』アレハンドロ・サンブラ

 

彼はダニエラが眠っている姿を見て、八歳のころの自分自身が眠っている姿を思い浮かべる。いつもそうなのだ。盲人を見れば自分が盲人になってことを思い浮かべ、いい詩を読めばそれを自分が書いているところを、あるいは誰に聞かせるわけでもなく声に出して読み、その言葉の暗い響きに元気づけられる自分の姿を思い浮かべる。
「木々の私生活」P106


僕もわが子を見ていると、その年だった幼い自分を思い浮かべてしまう。たいてい生きづらく泣いている自分だ。幼稚園に通っていた僕は毎朝登園するのがつらくて泣いていた。小学校にいる僕は何か先生に伝えなくてはならないことがあっても声をかける勇気がなくて泣いていた。中学生になった僕はいじめられる同級生を見て見ぬふりをする自分が嫌で消えてしまいたかった。

娘はそんな様子がなくて、少しだけほっとする。でも、心の中はわからない。僕は両親に自分の気持ちを伝えようと思わず何も語らなかったから。